「この胸のときめきを」

メガネ、文学少女、関西弁

1988年作品 監督…和泉聖治  主演…畠田理恵、森沢なつ子 、松下由樹 、清水真希

前回に続いて今回もプロ中のプロの仕事。和泉聖治の「この胸のときめきを」を取り上げる。
物語は学校の片隅でノートを前に小説を書こうとしている一人の女の子、矢嶋メロンの姿から始まる。このメロン(畠田理恵)のキャラクターが素晴らしい。メガネをかけた文学少女で、京都弁、しかもお父さんのことが大好きな明るい娘。恋愛小説を書いているくせに自分では恋に憧れるだけ、友達の恋を応援するのが精いっぱい。そんなあり得ない役を見事に演じて見せるのは畠田理恵。羽生名人、さすがいい目をしている。
監督・和泉聖治はこの時すでに10本以上監督作品のあるベテランで手堅い演出には定評があったが、ここでの彼は何か神がかったような冴えを見せ、脚本の中岡京平ともども、ここには確かに映画の神がおりてきている。 京都を舞台に、地元の高校生、修学旅行中の九州の高校生、東北の高校生、さらにヤクザまでが加わって、笑いあり涙ありの大騒動。KENTO'Sというオールディーズの生演奏が聞けるバー(劇中にも登場)がスポンサーのため、全編オールディーズのカバーがかかりまくる。京都の名所めぐり、オールディーズ、KENTO'Sの宣伝と盛りだくさんな内容でさぞかし制約も多かっただろうと思われるが、それらの枷を全て逆手に取ってプラスに変えてしまうのだから職人監督の能力と言うのは本当に偉大だと実感させられる(ちなみに後にビーイングを興す長戸大幸が音楽を担当)。
とにかく群像劇なので登場人物は多い。宍戸錠田中邦衛をはじめとする大物から本作でデビューの若手俳優哀川翔)、さらにゲスト出演の個性派俳優達までものすごい数の出演者全員に監督の和泉聖治は見せ場を与え、さらに観客には出てくる人全員を応援したい気持ちにさせる。文学少女メロンの他にも、先輩に憧れる奥手の紀子(森沢なつ子)、意地っ張りで気の強い加奈子(松下由樹)その親友で味のあるコメディエンヌぶりを見せる早苗(清水真希)など魅力的なキャラばかり。女優のことばかり書いているが、男子高校生たちももちろんいい。長倉大介、南渕一輝、保阪尚輝、倉崎青児、それに先生役の本田博太郎も。こうやって書いていると出演者全員の名前を挙げたくなってくる。それくらい登場人物造形の見事な映画である。
映画は書き終えた小説を手に眠ってしまったメロンの姿で終わる。小説のタイトルは「この胸のときめきを」。心の隅に最期まで残っていた「こんないい人ばっかり出てくる話なんて…」という呟きが溶けていくほど美しい、完璧なエンディングである。

「冬物語」

三角関係、ショートカット

1989年作品 監督…倉内均 主演…宮崎真純、水野真紀

来春公開予定という「佐賀のがばいばあちゃん」という映画の話を聞いた。監督は倉内均という方。もしかして「冬物語」の倉内均だろうか?あの映画なら最高だ。
普段ここに取り上げる映画は、割と繊細な作品が多いため誰にでもお勧めできるとは言えない。しかしこの「冬物語」はちょっと今の若い人達にも見て欲しい気がする。そして、当時の青春映画のレベルがいかに高かったかということに驚いて欲しい。
電話の話をする。映画の中で電話がかかってくる。主人公が電話を取り上げる。この場面の処理の仕方について。いきなり相手の声がオフで画面外から入ってくる、というのはまず論外。よくあるのは相手の言うことをいちいちオウム返しにするパターン。「…もしもし…えっ?私の子供を誘拐した?…午後3時に公園に身代金を持って来い?…なんだと警察には言うな?」みたいな。いまだにこれテレビのサスペンス等でよく見る。相手が急に電話を切る。主人公「(切れた電話に向かって)もしもし!もしもし!ちょっと…もしもし!…(受話器を見つめて)なんだ、切れてる」お前は電話が切れたかどうかくらいすぐ分からないのかと言いたくなる。ところがこの映画では、わずかな受け答えと受話器から微かに聞こえる声だけで、何か電話の向こうでヒロインに何か大変なことが起きているのだなと観客に理解させる。急いでヒロインの元に駆けつけなきゃという気持ちを起こさせる。この場面一つとっても監督の力量が分かると言うものだ。当たり前のことを当たり前にやっているだけなのだが。
当たり前を丁寧に積み重ねてゆく。役者にきちんと芝居をつける。エキストラを適切に動かす。夜の公園の場面や電車の中のシーンで正しく照明をあてる。ロケハンをきっちりする。予備校を舞台にした映画なのだが、監督は主人公達をいつも最後列の座席に座らせる。役者が背景に埋没しないように。そういった当たり前の積み重ねの上で、自由な空気が生まれる。山本陽一、宮崎真純、水野真紀という3人の予備校生が、恋や進路に悩みながら成長していくという映画なのだが、決してテーマを大上段に振りかざすことなく日常的なシーンの積み重ねで見ているものに爽やかな感動をもたらすさまは見事の一言。あえてこの演出スタイルが誰に似ているかと言えば、山田洋次に似ている気がする。
もっと評価されてもいい映画だと思うが、倉内均の名前をそれからスクリーンで見ることはなかった。たしか元々テレビのベテラン演出家だと聞いていたので、テレビの方へ戻られたのだと思う。その監督がまた映画に帰ってきたのだとしたら、「冬物語」ファンとしてはこんなに嬉しいことはない。
佐賀のがばいばあちゃん」公式サイト
http://www.gabai-baachan.com/

「微熱少年」

60年代 スターになる女の子

1987年作品 監督…松本隆 出演…西山由美、広田恵子

さて、「萌え日本映画」をかわいい女の子が出てくる映画だとするならば、1992年以降だってあるじゃないかという方もいらっしゃるかもしれない。例えば1998年の映画「がんばっていきまっしょい」の田中麗奈はかわいかったよと。だがちょっとここで取り上げている映画達とは違う。例えばその磯村一路が1990年に撮った「あさってDANCE」と、以前このブログで取り上げた「四月怪談」「ふたり」を比べて頂きたい。同じ中嶋朋子主演でも何かが違う。早い話が冷めているのだ。淡々としていると言ってもいいかもしれない。「映画は好きだけど、映画の中と現実を混同したりしませんよ」と言わんばかりの。今あるアイドル映画はほとんどそうだ。あくまでクール。女の子も見るアイドル映画(いやむしろ女の子をターゲットにしたアイドル映画)。映画の中に入り込みすぎる監督達は皆いなくなった。もしくは肩身が狭そうに映画界の片隅に逼塞している。「いいインディアンは死んだインディアンだけ」という悲しい言葉が思い浮かぶ。おい、失礼だな。誰が死んだって?いつか魔法の国が何らかの形で蘇ることを俺は信じている。
えー、話は変わって、このブログを書くためにレンタルビデオ屋に行って80年代心をときめかせた青春映画達を探したのだが、びっくりするほど無い!店頭から消えている。おそらくそれらの大半はDVD化されないだろう。もちろん当時好きだった人達が心のビデオラックに永久保存しておけばいいとも言えるけれど、当時のことを知らない人達に少なくともそんな素晴らしい映画が存在しておいたということだけでもこのブログに書き記しておきたいと思う。
そんなわけで本日の映画は作詞家松本隆監督の「微熱少年」。傑作です。当時、劇場で見たわけではなくビデオで見たのだが、昨夜15年ぶりくらいに見直したらいろんな場面を覚えていて驚いた。スキー場でのパーティ。車の中での別れ。「もしあなたがミュージシャンになったら、今日のわたしのことを歌にして」というセリフ、俺の頭の中に15年以上あったんだなあ。ガールフレンドがスターへの道を歩み始め、どんどん二人の距離が離れていくという場面。このヒロイン・エリーを演じている西山由美は、カネボウ創立100周年記念ニューフェイスで出てきたそうで、たしかに歩いてたらすぐスカウトされそうなかわいさです(セリフがひどい棒読みですがそこがまた…)。もう一人のヒロイン広田恵子もいい(カネボウ水着ギャルから出てきた方なのかな?)。大人っぽい役のはずなのに時々幼い素顔がのぞくあたりが。
スタッフは結構豪華。脚本は筒井ともみ。ネガ編、南とめ(この時77歳!)。ホリプロ制作で、予算はかかっているらしく60年代の街角を再現した大きなセットを組んだりしている。しかし全体から受ける印象は自主映画。でも、そこがいいんだな。監督が本当にこの映画を作りたくて作った、自分の好きなものをつめこんで作ったことが分かる(そもそもこの映画ジョエル・マイヤーウィッツそっくりの海の画から始まる。くすぐったい)。自伝的物語ということもあるが、監督が映画の世界に完全に入り込んでいる。俺が好きなのはそういう映画だ。作り手が世界を愛して作った映画は、その全てが愛しい。出演者全てが愛しい。斉藤隆治斉藤由貴の弟)、C-C-B関口誠人(好演)、UP-BEATの広石武彦(懐かしい!現在はソロで活躍) 、風町に住む全ての人を好きになる。
ヒロインの西山由美は、この後しばらく見なかったので女優をやめたのかと思っていたら、数年後坂本順治「トカレフ」に西山由海という名前で復帰していた。その後もマイペースで女優活動を続けている様子。エリーのその後、という感じで微笑ましい。

「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」

酋長の娘

大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン [DVD]

1966年作品 監督…田中重雄 主演…江波杏子

萌え日本映画、まあ広義には「現代の目から見てかわいい女優さんが出てくる日本映画」ととらえて頂くとして、この映画の江波杏子は大変かわいい。1942年生まれというのが正しいとしてこのとき24歳か。かわいいというより美人ですね。イタリア映画に出てきそうな。大映の女優さんで、代表作は「女賭博師」シリーズということらしいが、残念ながら一本も見たことが無い。斎藤耕一の傑作「津軽じょんがら節 」では謎めいた都会の女を演じている。カメラマン出身、斎藤耕一のスチール的な画面作りによく合って大変美しかった。
さて、そんな美人女優、この映画では肌を黒く塗り(薄くだけど)、ビキニタイプの民族衣装に身を包んだ酋長の娘役。後半では南の島から日本にやってきて、本郷功次郎とラブシーンまで演じる。バルゴンのユニークな個性によって昭和ガメラの最高傑作と言われている本作だが、若き江波杏子のエキゾチックな美貌を見ているだけでも十分楽しめる。

「みゆき」

妹、三角関係

1983年作品 監督…井筒和幸  主演…宇沙美ゆかり三田寛子

一応ヒロインは宇沙美ゆかり三田寛子の二人だが、妹役を演じた宇沙美ゆかりが輝きまくっているので、この映画は宇沙美ゆかりの映画とさせてもらう。生意気で、やきもち焼きで、時々寂しそうな顔を見せ、妹役の演技としては完璧である。井筒監督はああいう人なのでこの映画について多く語らないが、正直、井筒監督の最高傑作の一つだと思う。初期の荒削りな自主映画タッチと、商業的なスタイルが絶妙にブレンドされて他のどの作品より画面作りが新鮮。どんな事情があったのか、劇中、二、三明らかにおかしい所があるためにあまり評価は高くないが、「東方見聞録」と並んで萌え日本映画ファンなら見ておくべき作品である。(興味が無い人はスルーして欲しい。揶揄するためだけに映画を見るのはグリフィスに対して失礼だ)
ちなみに萌えの心を理解している方なら分かると思うが、サービスシーン(裸とかパンチラとか)は、あればいいってもんじゃない!…まあ、もちろん嬉しい場合もあるが、ちょっとこの映画の宇沙美ゆかりはサービス・シーンが多すぎて痛々しかった。いや、何か彼女は、明るく振舞えば振舞うほど、その裏に悲しみを秘めているようで何かほっとけない気分にさせる女優なので。
悪い予感はあたり、宇沙美ゆかりはこの後何かを勘違いした奥山和由によってアクション映画「V.マドンナ大戦争」の主役に据えられ、映画の興行的な失敗とともに芸能界を去る。 こうして我々は萌え日本映画史上燦然と輝く妹キャラを失った。萌え日本映画史は喪失の歴史でもある。ちなみに角川春樹奥山和由、一見似たような印象を持たれがちな二人のプロデューサーだが、監督作品を比べるとはっきり違いが分かる。角川春樹には「愛情物語」、「時をかける少女(リメイク版)」と、(まあ多少勘違いはあったにしろ)萌え日本映画を理解しようという姿勢があったが、奥山和由はついにそれを理解し得なかった。

「時をかける少女」

タイム・トラベル、委員長

時をかける少女 [DVD]

1983年作品 監督…大林宣彦 主演…原田知世

「ひとが、現実よりも、
 理想の愛を知ったとき、
 それは、ひとにとって、
 幸福なのだろうか?
 不幸なのだろうか?」
「萌え日本映画」にとってのウッドストック。残念ながら私はこの映画が公開された時、まだ映画に興味を持つような年では無かったためこのウッドストックに行き損ねた。「萌え」と言うのは大変繊細で、天・地・人全ての条件が満たされた時最大の力を発揮したりするものなんで、技術的なことはいくらでも誉められるけど、ちょっとこの映画に関しては正しく萌えてるか自信が無い。幸い、この映画に関しては熱いサイトがいっぱいあるので安心して皆様におまかせします。
私的には委員長(?)神谷真理子役の津田ゆかりという人がかわいいので気になる。角川のオーディションで準グランプリをとった方らしい。この後何をしてらっしゃるのか分かりませんが、この映画の中で津田ゆかりは永遠に委員長として人々の前に現れ続けるわけですね…。あ、あと高畑京一郎の小説「タイム・リープ」はこの映画に対する見事なオマージュなので、「時かけ」の好きな方は是非ご一読をおすすめします。

「ステイ・ゴールド」

冒険、友情

1988年作品 監督…村上修 主演…水原里絵(深津絵里)、鈴木美弥、堀江葉月、山本清美

野沢尚は城戸賞出身の脚本家である。テレビドラマの売れっ子脚本化である。江戸川乱歩賞受賞の推理小説家である。私の大学の先輩である。2004年に自ら命を絶ってしまった脚本家である。だが、何より私にとって野沢尚ははこの「ステイ・ゴールド」の脚本家である。すまないが「ステイ・ゴールド」については当時よく言われていた女の子版「スタンド・バイ・ミー」という説明だけで勘弁。「萌え日本映画」好きの方ならレンタルビデオ屋を駆け回って探して欲しいし、もし最初の10分を見て気に入らなかったらすぐビデオを返却して、この作品のことは忘れて欲しい。冷静な批評や、映画マニアのツッコミは無用。しかしこのナイーブさは映画好きの中学生の魂を相当震わせた。野沢尚はこの作品の脚本家として脳裏に刻まれたし、この映画を野沢尚本人が小説化した文庫本も手に入れたから、乱歩賞なんか取らなくても自分の中では十分特別な小説家だった。
その当時は野沢尚の作品をよく追いかけていた。テレビでやっていた「記憶なし」という2時間ミステリは、突然19歳以降の記憶を失い少女のような言動をし始めた母親とその娘が二人連れで旅をするうち、次第に友情のようなものが芽生えるという話で、ますます野沢尚のことが好きになった。しかし、やがて野沢尚の作風は少しずつ変化していく。テーマ重視の社会派脚本家として一般人の間に名声が高まってゆく頃は、もうほとんど興味を失っていた。もともとテレビを見ないからというのもあるが、野沢尚の書いた連続ドラマは一本も見たことがない。多分、俺が一方的に思い入れていただけで、野沢尚というのはタフでたくましい常識人だったのだろう、そんなふうに思って何年かが過ぎた頃、突然訃報がとどいた。要するにどういうことだったのかは分からない。昔のインタビューで「誰か僕についての本を書いてくれないかな」と言っていたのは覚えている。自分が脚本を書いた「マリリンに逢いたい」を時々見て泣いていたのも知っている。 野沢尚が有名になってからも、「マリリンに逢いたい」や「ステイ・ゴールド」についてはその題名すら挙がらなかった事も。だが、私以外にもこの映画のことを忘れないでいる人が何人かいることは確信しているし、それだけでいい。(監督の村上修は今も現役でこれからもいい映画を撮るかもしれないが、私にとっては「ステイ・ゴールド」の監督ということで全てだし、その名は野沢尚やこの映画の出演者全員の名前と並んで心に極太の金文字で記してある。)