「セーラー服と機関銃」

セーラー服、機関銃

セーラー服と機関銃 [DVD]

1981年作品 監督…相米慎二 主演…薬師丸ひろ子、風祭ゆき

タイトルの下の見出しは一応その映画の「萌え」ポイント(いわゆる萌え属性というやつですか)を書いているつもりなのだが、この映画の場合はタイトルがまさにそのまま属性の要約になっているという、原作者・赤川次郎のタイトルセンスの素晴らしさにあらためて感心。
で、この映画だが。「ああ、懐かしいね。昔見たよ。結構面白かったよね」という方はとりあえずレンタルDVD屋に行ってもう一度この映画を見ていただきたい。
変だ。ものすごく変な映画だ。自分も昨夜十数年ぶりくらいでこの映画を見直したのだが、こんなに変な映画だと思っていなかったのでかなり驚いた。こんな映画を小中学生が普通に見ていた80年代とは一体どんな時代だったのか自分でもよく思い出せないが、当時はどの邦画も少しおかしかったので特にこの映画のエキセントリックぶりは目立たなかったような気がする。
このブログは日本映画における女性の描き方について考えていく場所なので、映画論に踏み込んでもしょうがないとは思うが、今見ると、思っていた以上にこの作品での相米慎二鈴木清順の影響を受けている。 脚本が清順作品でおなじみの田中陽造ということもあるかもしれないが、物語だけでなく途中で出てくる新興宗教本部のセットなど、そのまま清順映画に使われても不思議ではない。
そう、この三國連太郎が教祖(兼ヤクザ)を演じるこの新興宗教本部のシークエンスはほとんど悪夢だ。清順の映画世界に、当代きっての清純(洒落じゃないよ)なアイドルを放り込んだらどうなるか、という実験。無理やり言えば「不思議の国のアリス」だが、悪夢になるに決まっている。で、この悪夢だが…実に魅力的な悪夢なんですなあ、これが。
この映画、アリスよろしく次から次へと奇妙な人物が出てきて薬師丸ひろ子を翻弄するのだが、何があってもアリスはアリスであるように、ひろ子はあくまでひろ子。ヤクザに拉致された車の中で泣き疲れて眠ってしまったり、風祭ゆきが自分の身代わりとなって敵に強姦されてもけろりとしていたり。大人の世界を何度も垣間見ていながら、結局最後の最後まで何一つ分かっていないのである。だからこそ、この映画を見終わった後は夢から覚めたように爽やかな気分になれる。ま、自分もこれを見ていた頃、こんな風に何も分かっていない子供だったのかなあと思うとちょっと複雑な気持ちになるが。