「ステイ・ゴールド」

冒険、友情

1988年作品 監督…村上修 主演…水原里絵(深津絵里)、鈴木美弥、堀江葉月、山本清美

野沢尚は城戸賞出身の脚本家である。テレビドラマの売れっ子脚本化である。江戸川乱歩賞受賞の推理小説家である。私の大学の先輩である。2004年に自ら命を絶ってしまった脚本家である。だが、何より私にとって野沢尚ははこの「ステイ・ゴールド」の脚本家である。すまないが「ステイ・ゴールド」については当時よく言われていた女の子版「スタンド・バイ・ミー」という説明だけで勘弁。「萌え日本映画」好きの方ならレンタルビデオ屋を駆け回って探して欲しいし、もし最初の10分を見て気に入らなかったらすぐビデオを返却して、この作品のことは忘れて欲しい。冷静な批評や、映画マニアのツッコミは無用。しかしこのナイーブさは映画好きの中学生の魂を相当震わせた。野沢尚はこの作品の脚本家として脳裏に刻まれたし、この映画を野沢尚本人が小説化した文庫本も手に入れたから、乱歩賞なんか取らなくても自分の中では十分特別な小説家だった。
その当時は野沢尚の作品をよく追いかけていた。テレビでやっていた「記憶なし」という2時間ミステリは、突然19歳以降の記憶を失い少女のような言動をし始めた母親とその娘が二人連れで旅をするうち、次第に友情のようなものが芽生えるという話で、ますます野沢尚のことが好きになった。しかし、やがて野沢尚の作風は少しずつ変化していく。テーマ重視の社会派脚本家として一般人の間に名声が高まってゆく頃は、もうほとんど興味を失っていた。もともとテレビを見ないからというのもあるが、野沢尚の書いた連続ドラマは一本も見たことがない。多分、俺が一方的に思い入れていただけで、野沢尚というのはタフでたくましい常識人だったのだろう、そんなふうに思って何年かが過ぎた頃、突然訃報がとどいた。要するにどういうことだったのかは分からない。昔のインタビューで「誰か僕についての本を書いてくれないかな」と言っていたのは覚えている。自分が脚本を書いた「マリリンに逢いたい」を時々見て泣いていたのも知っている。 野沢尚が有名になってからも、「マリリンに逢いたい」や「ステイ・ゴールド」についてはその題名すら挙がらなかった事も。だが、私以外にもこの映画のことを忘れないでいる人が何人かいることは確信しているし、それだけでいい。(監督の村上修は今も現役でこれからもいい映画を撮るかもしれないが、私にとっては「ステイ・ゴールド」の監督ということで全てだし、その名は野沢尚やこの映画の出演者全員の名前と並んで心に極太の金文字で記してある。)