「りぼん RE−BORN」

動物娘(?)、リボン、不思議ちゃん

1988年作品(「グリーン・レクイエム」と同時上映) 監督…今関あきよし 主演…伊藤真美、今泉佐和子

今関あきよしの代表作とされる「アイコ十六歳」「グリーン・レクイエム」が原作つきだったのにたいして、これはオリジナル脚本で原案今関あきよし。主人公はカッパの実在を信じている変わり者でいじめられっこの女子高生。…ってもうこれでこの映画の全てを言い尽くしているし、今関あきよしの気持ちが痛いほど伝わってくる。いや、一応視点はその変な子を見守る普通の女の子(伊藤真美)の方にあるのだが、見終わって印象に残るのはやはりカッパ娘。(演じているのは今泉佐和子。「不可思議物語 FANTASTIC COLLECTION」にもちらっと出てきたと思う)あと、おなじみ角田英介や“の・ようなもの”伊藤克信 らが客演。
しかしこの監督のフィルモグラフィを眺めていると、この人ほど「萌え日本映画」を体現してる人も無いと思う。(すみません初期作品は「ORANGING’79」と「フルーツ・バスケット」しか見たことないのですが)従って「萌え日本映画」の終わった1991年以降、彼のフィルモグラフィは俄然輝きを失う。同じことをやっていても、もはや立っている場所が無いのだからうまく出来るはずがない。サッカー場でバスケットをやらされてるようなもんだ。今関あきよしが事件を起こした時、「やっぱりあいつはロリコンだったんだ。ロリコン昂じて映画を撮ってたんだ」みたいな事を言う人もいたが、それは逆だろう。そうじゃなくて、今関はもともと「萌え日本映画」の人で、その拠って経つ世界が無くなったからこそ、3次元に手を出すしかなかったわけで。大林宣彦相米慎二のように他にもヒキダシがあれば良かったのだが…。小中兄弟や金子修介のように、アニメや特撮の世界にスライドできれば良かったのだが…。大槻ケンジのように音楽の才能があれば良かったのだが…。なまじ生粋の「萌え日本映画」人であったため、一緒に心中してしまった。
この映画のラストで、主人公は水中のカッパの世界に消えてゆく。映画のように消えることのできなかった今関あきよし監督。彼に対して「罪を償ってからまたいい映画を撮って欲しい」なんて事を書いてるのも見かけたが、この残酷な世界に戻ってきてほしいなんて、俺にはとても言えない。もし、また今関あきよしが良い映画を作ることができるとすれば、それは魔法の世界がよみがえった時だけだろう。しかし、魔法の世界はよみがえるのか?(そしてこの映画はDVD化されるのか?)
http://www.nazuna.com/~bun/index.html
ここに大変詳しい今関あきよしのフィルモグラフィがあります。参考にさせて頂きました。

「アイドル映画30年史」

エッセイ中心

アイドル映画30年史 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)
しかしここら辺の映画のこと調べようと思うと資料がほとんど無い。ネットにもこういった日本の青春映画だけ取り扱ったサイトはあまり見当たらないし。ヌーベルバーグについてだったらいっぱいあるのになあ。やっぱり語りにくいのだろうか。あと「泣ける映画のページ」とか「笑える映画のページ」というのはたくさんあるが「萌える映画のページ」とか「切ない映画のページ」とかは無いみたい。萌えとか切なさってのは特殊な感情で、その素養を持たない人と共有するのは難しいため、はなから文章にすることを諦めてるってことか。
そんなわけで資料といってもとりあえずこのくらいしか無いのですが、作品ではなく女優中心の本。体系だっているわけでもなく、大勢の執筆者がバラバラに書きたい事を書いているという感じ。中には興味深い文章もあるのだが、例の秘宝的な「笑わせなきゃ」という変な気負いのせいで無理やりナナメから映画を見てる感じがちょっと…。あと、「アイドル映画」と「萌え日本映画」は重なるところも多いけど、完全に同義語ではありません。黒澤明の「8月の狂詩曲」はアイドル映画ではないけど、「萌え日本映画」ですから。「8月の狂詩曲」についてはまた。

「初めての愛」

ミニスカート、70年代ファッション

1972年作品 監督…森谷司郎 主演…島田陽子

最近ケーブルテレビでその作品をまとめて見る機会があって、今まで「赤頭巾ちゃん気をつけて」と「放課後」しか知らなかった森谷司郎の評価が私の中で大いに上がった。何しろ出てくる女の子の趣味がいい。それからスタイルが面白い。「赤頭巾ちゃん」や「放課後」では何となく見過ごしていたが、こうやって見ると、明らかにアメリカンニューシネマの影響を受けてることが分かる。(68年の「首」の頃はまだ黒澤明直系のオーソドックスな演出)主人公達が海辺で楽しく遊んでいると、突然チンピラにからまれてボロボロに殴られるなんていう「いちご白書」そのままの場面も。また映画音楽の代わりにボーカル入りのポップスを流すというニューシネマのスタイルも踏襲しており、それもちょっと新鮮なのだが、惜しむらくはそれが小椋桂…。いや、小椋桂もいいんですが…。ええと、話の筋はほぼ「卒業」(ダスティン・ホフマンの)。年上の女に加賀まりこ。主人公と知り合う純真な娘が島田陽子。この島田陽子がとにかくかわいい。当時まだ十代なのかな。清楚で内気な女の子の役。この内気な女の子が最後に大人の女の顔で冷たくセリフを吐き捨てる場面があってそこがまたいいんだが、今考えるとそっちが地なんだな。彼女の着る70年代ファッションも見物。(って、今もそうだけど日本映画の中のファッションが、当時の世間における実際のファッションをどれだけ反映してるのかってのはちょっと疑問だが…)
森谷司郎は「萌え日本映画」のマエストロの一人に数えていい鬼才だと思うのだが、残念ながら後年は超大作の方にいってしまったので、世間的にはそっちのイメージが強いかもしれない。大味な大作を作る人、みたいな。この頃の作品がまとめてDVD化されれば森谷司郎の評価も大きく変わると思うのだが。あ、あとこの映画、栗田ひろみもワンシーンだけ出てます。水着で。

「東京上空いらっしゃいませ」

幽霊、アイドル
東京上空いらっしゃいませ [DVD]

1990年作品 監督…相米慎二 主演…牧瀬里穂

幽霊物をもう一本。この映画の知名度がどれくらいあるかは知らないが、「萌え日本映画」的には絶対はずせない一本である。この文章を書くにあたって、一応ネットでいろいろ調べてみたが、やっぱり観た人の感想に温度差がある。「死ぬほど好き」と「わりと好きかも」の間に日本海溝くらいの開きがある。まあ、言ってみればキリスト教信者にとっての聖書と、一般の人にとってのそれじゃ、同じ聖書であっても全く別物なのと同じで。普通の人が聖書を読んで、「わりと面白いんじゃない」「結構ドラマチックで良かった」等と言うそれはそれで全く間違ってないのだが、やっぱり敬虔な信者の読み方とは決定的な断絶があるはず。ということなので、このブログでベタ誉めしている映画を見てつまらないと思った方、私を責めないで頂きたい。「萌え日本映画」の特徴としては、好きな人と普通の人の間の温度差が大きい、というのも付け加えていいかも。

では、ベタ誉めさせて頂く。相米慎二の最高傑作とは言わないが、最高にキュートな一本。テオ・アンゲロプロスをこう咀嚼したかという愉快な驚き。それはまさに(実際映画の中にあるように)、一流のジャズ・バンドを使って歌謡曲を演奏したような無邪気な破壊行為だ。映画祭で見た相米慎二の照れたような笑顔を思い出す。「ガキっぽい映画作っちゃったよ」とか言いながら結構嬉しそうだった。牧瀬里穂は映画史には残らないかもしれない。しかし、この一本の映画で、ファンの心に永遠にその名を刻んだ。刻みまくった。

「四月怪談」

幽霊、制服、変人

1988年作品 監督…小中和哉 主演…中島朋子

四月怪談 [DVD]
大林宣彦「ふたり」に先駆けて、中島朋子が幽霊を演じた作品で、原作は大島弓子。話は原作にほぼ忠実だが、多少の相違もある。原作では中性的で正体不明の美少年幽霊を、映画では柳葉敏朗が男っぽく演じ、過去の話も交え人物に厚みを持たせている。このキャラがいい。また変人「夏山登」役を、角田英介が好演。クラスで変人扱いされているようなキャラが出てきて、そいつが実はいい奴、そんな筋の映画に外れは無い(と、中原昌也も言っていた)。話を整理して具体的にすることで、原作の持つ寓話的な凄みこそ無くなったが、結果各キャラに感情移入しやすい、愛すべき映画となった。「ふたり」とは違い、こちらの中島朋子は純真なアホキャラを楽しそうに演じており、何と言うか、実にかわいい。
ちなみにこの頃、小中和哉は「1+1ワン・プラス・ワン」というフォト・アニメーションブック(マンガを写真でやっている。表紙は大島弓子)も作っており、こちらも他愛ないが愛すべき作品だった。

「ふたり」

姉妹、幽霊、演劇部

1991年作品 監督…大林宣彦 主演…石田ひかり、中島朋子

ふたり デラックス版 [DVD]
では、終わりはと言えば、それがこの映画、大林宣彦の「ふたり」と思われる。「萌え日本映画」というジャンルは、既に終わっているというのが私の考え。そもそも…。大林宣彦が「ふたり」に続いて発表した作品「青春デンデケデケデケ」を劇場で見た時、傑作だけど何か今までと違うなと感じた。何かが終わったような。
その頃はまだ「萌え」という言葉を知らなかったので、何が失われたのか分からなかったけれど。そこから逆算して、日本映画には「萌え」としか名づけられない一つの流れがあったんじゃないかと考えついた。
はてな」「Wikipedia」等によれば、「萌え」の用語が登場し始めたのが、1990年頃。この「ふたり」は1991年作品。萌えの歴史については、アニメ周辺から語り起こされて既にいろいろな説が書かれているが、それら以前に日本映画にある種の流れがあり、それが終焉するとともにアニメの方に流れ込み、そこで始めて「萌え」という言葉(概念)が生まれたという説はどうだろう(逆にアニメの勃興により、映画の方の流れが終焉したとも考えられるが)。
映画の内容はその最後をかざるにふさわしく、「萌え日本映画」のエッセンスを凝縮させた大傑作。この映画が苦手、もしくは駄目という人は多分、「萌え日本映画」というジャンルそのものが駄目だと思う。

「隣の八重ちゃん」

おさななじみ、お下げ

1934年作品 監督…島津保次郎 主演…逢初夢子

萌え日本映画、まずはその始まりから考えてみたい。実写映画史上最初の萌えは、リュミエール兄弟「列車の到着」の最後に出てくる女の子ということでまあいいとして、日本映画の場合は?とりあえずこれで。
1934年松竹作品。逢初夢子演じる八重子は、今でも隣の家に住んでそうな素朴な女の子。映画は、雰囲気を大切にした作品でほとんど何も起こらない。いや、いろいろ起きるんだけどなんか緩い空気でうやむやに…そこがいい。 まずはこれを最初の萌え日本映画とすることで議論のとっかかりとしたい。異論反論大歓迎です。